日曜日の夜、そのイタリアンのお店はいつもとは少し違う表情をしている。
普段はパスタや前菜、ワインが静かに並ぶ店だ。
けれど、日曜の休業日だけは特別。
音楽のイベントやちょっとしたライブが開かれることがあり、
そのときだけ限定で登場する“幻のホットドッグ”がある。
私はこの店を通して、ホットドッグという食べものの印象をすっかり塗り替えられてしまった。
シェフはこの日だけはお休み。
代わりにキッチンに立つのは、店のソムリエだ。
彼女の作るホットドッグは、一見するとごくシンプルだ。
けれど、ひと口食べれば、その印象は一瞬で変わる。
パンは、近くのパン屋さんに特注しているというコッペパン。
ふかふかとやわらかく、まるで焼きたてのように温かい。
口に入れた瞬間に、やさしい甘みが広がる。
そして主役のポークソーセージ。
噛んだ瞬間、じゅわっと肉汁があふれる。
表面の香ばしい焼き目と中のジューシーさの対比が見事で、
ひと口ごとに幸せがやってくる。
だが、私がこのホットドッグで一番感動したのは、
その下に敷かれている“バターで炒めた千切りキャベツ”だった。
たかがキャベツ。けれど、されどキャベツ。
ほんのりと甘く、そしてバターの香りがふんわりと広がって、
ソーセージの塩気と見事に調和する。
最初に食べたとき、思わず「おいしい・・・」とため息が漏れた。
小さな店内に、あたたかい空気が満ちていた。
その瞬間、ホットドッグは単なる食べものではなく、
“その夜の記憶そのもの”になった。
それ以来、私はこの店のイベントを心待ちにしている。
けれど最近は、なかなかタイミングが合わず、
通常営業の日にも足を運べていない。
気づけば、あのホットドッグを最後に食べたのはもう数ヶ月前だ。
写真フォルダを開けば、あの夜に撮った一枚がある。
皿の上に置かれたホットドッグが、照明の下で少し光っている。
見ているだけで、香ばしい匂いと音楽の余韻がよみがえる。
「また食べたいな」と思いながら、その写真を時々眺める。
ふかふかのパンの感触、ソーセージの弾力、
そしてキャベツの甘み――
どれも鮮明に思い出せるのに、
いざ言葉にしようとすると、少しだけ遠い夢のように感じる。
それくらい、特別な味だったのだ。
きっと、味そのものだけではなく、
その夜の空気や、グラスの音、音楽、
そんな“場の記憶”すべてが
ひとつになって、私の中に残っているのだと思う。
料理というのは、そういうものかもしれない。
どんなにおいしくても、二度と同じ味にはならない。
同じ材料、同じ手順で作っても、
その日の温度や人の気分、会話の調子によって
少しずつ変わっていく。
だからこそ、あの夜のホットドッグは、
私の中で唯一無二の味として、静かに輝いている。
またいつか、あのホットドッグを頬張る日が来るといい。
その時はきっと、
最初に食べたときのように、また感動してしまうのだろう。
その感動をまた新しい記憶として心にしまって、
帰り道でひとり、ふと笑ってしまうような――
そんな夜をもう一度、味わいたい。


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