東北地方の駅前食堂を取材して回った――まさにその名も『駅前食堂』という本を読んだことがある。
古本屋の片隅で偶然見つけた一冊だった。
表紙には少し色あせた駅舎と、暖簾のかかった小さな食堂の写真。
その素朴な佇まいに惹かれて手に取ったのがきっかけだった。
ページをめくると、東北各地の食堂の写真と、そこで出会った人々の物語が並んでいた。
その本が発行されたのは20年以上も前のことで、紹介されていた店の多くはすでに閉店していた。読み進めると時間の流れの重さを感じた。
駅前食堂という存在は、ただの食事処ではなく、その町の時間を見守る場所でもあるのだと思った。
東北という土地は長年住んでいても、いつか訪れてみたい場所がいくつもある。
しかしその本を読んで最初に思い浮かべたのは、意外にも自分の地元――高校の最寄り駅前にあった小さな食堂のことだった。
遠い町よりも、心の奥底でずっと温めていた“あの店”の記憶がよみがえったのだ。
高校生の頃、私は駅近くの菓子店でアルバイトをしていた。
夕方になると、ガラスケースに並ぶケーキの甘い香りと、閉店準備のバタバタとした音が交じり合う。
仕事を終えるころにはいつもお腹がぺこぺこだった。
そんなある日、父が迎えに来てくれた。
「腹が減ったろ、ちょっと食べてから帰るか」と言って、駅前の食堂に入った。
父と二人で外食するなんて、それまでなかったように思う。
暖簾をくぐると、出汁と油の混ざった懐かしい匂いがした。
父は私を指さしながら、店員にこう言った。
「から揚げがのったどんぶりご飯を出してくれないか」
やがて運ばれてきた丼は、見た目からして豪快だった。
茶色く照りのある卵とじの下には、ご飯がたっぷり。
甘じょっぱい香りが立ち上り、湯気の向こうに父の顔がぼんやり見えた。
一口食べると、衣のサクサク感と卵のまろやかさが混ざり合って、夢中で箸を進めた。
バイト帰りの腹ぺこな体には、これ以上ないごちそうだった。
「母さんには内緒だ」と父がぼそっと言った。
その言葉が少しうれしかった。
たったそれだけのやりとりなのに、自分が少し特別な存在になったような気がした。
父と並んで食べるごはんは、あたたかくて、静かで、どこかくすぐったかった。
あの夜のことを、私は今でも鮮明に覚えている。
けれど、父が何を食べていたのかは思い出せない。
会話の内容も、ほとんど記憶にない。
きっと他愛のない話をしていたのだと思う。
あの頃の私にとって、父との時間は日常の一部で、特別なものとして刻むことはなかった。
それが悔しいような、切ないような気持ちになる。
父が亡くなってから、もうすぐ三十年が経つ。
それでも、食べものにまつわる思い出は、驚くほど鮮やかに残っている。
味や香りというのは、時間を超えて心に染みつくのだと思う。
ふと、似たような匂いに出会うだけで、あの日の情景が一瞬でよみがえる。
まるで時間が巻き戻るように。
その駅前食堂には、大人になってからも何度か行ってみたいと思っていた。
帰省のたびに思い出すのに、なぜかタイミングが合わず、暖簾をくぐる機会を逃していた。
けれど、2年前のお盆の時期、ようやくその念願が叶った。
駅を出て、少し歩いたところにあるその食堂は、外観こそ少し古びていたが、看板の字体も、入り口の暖簾の色も、昔のままだった。
中に入ると、あの頃と変わらない香りがした。
少し油の混じった、でもどこか落ち着くような匂い。
「お好きな席へどうぞ」と言われて案内されたのは、偶然にも父と座ったあの小上がりの席だった。
テーブルの木目や壁のポスターの色褪せ具合が懐かしくて、胸の奥に熱いものがこみ上げた。
「そうだ、多分この席だ」と、心の中でそっとつぶやいた。
気がつけば、私は父が亡くなったときの年齢をとうに越えていた。
そのことを思うと、いつも少し胸がざわつく。
時間が進んでいくことは自然なことなのに、なぜか申し訳ないような気持ちになるのだ。
父が生きた年数よりも長く生きていることが、うれしいというより、寂しい。
そして、ふとした瞬間に涙がにじむ。
バイト帰りの夜、父と寄り道した駅前食堂。
あの小さな時間の記憶を、私は今も大切に抱えている。
もしもう一度、父に会えるなら伝えたい。
――あの夜のこと、私はちゃんと覚えている。


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